正念 sammā-sati
これ。。仏教聖典の「八正道」の記述が「わからなくなる」から。。アビダンマッタサンガハを読む、の解説で確認しておかないといけない
たとえば正念。。Satiのことっぽいんだが。。念て。。音に出して言うて意味でもあるから。。ほんとうはパーリ語確認しないとなんか
疑でもなく。。。正しい念て。。念だと「しゃべる」うたうて意味だからいったい?て思っちゃうわけ
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、邪見、邪思惟、邪定の12が道支です。
出離
無恚
無害
無恚思惟
無害思惟
タコさんのそれを確認してるの
これ重要なの。無害思惟
@lib2015blog: えー。。入院したことがあります。結果としては退院しました。そのあと少し「ねて」。学校いきました。 そのとき「どうしておれだけこんなめにあうんだ」て黙ってました。
これを離れたら無害思惟ということになるが。。。
@lib2015blog: 害になる気持ちです。「どうしてうまくいかないんだ」とか「なんでこんなことになったんだ」などと、サッと心に現れる、拒否したくなる気持ちです。これもなくするように思考を工夫します。 アビダンマッタサンガハを読む
これ。。ほっとくと「ビャーバーダ 大量殺戮の怒り」になっちまうんだよ
だからまずいわけ
眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、女根、男根、命根、意根、楽根、苦根、喜根、憂根、捨根、信根、精進根、念根、定根、慧根、「知らないことを知ろう」という根、「知る」根、「知り終えた」根という22が根です。
物質、身体の窓口
意根から
心、認識の窓口
信、精進、念、定、慧 (五根)
悟りに至る5つの機能
最後の3つ 悟りに関わる認識機能
22の窓口ががんばってる、てのが人間なのかもしれない
1「知らないことを知ろうではないか」善への好奇心
2「知る」は悟る瞬間の心の機能
3「知り終えた」は、自信の体験を振り返って「ああ、確かに知りました」と後から観察する機能です。納得する機能がはたらくのです。
普通の勉強などでも、この三根があると理解が速く確かになります。
実はそうではなかった、という理解にいきます
タコさんが「好奇心」なのね
タコさんがほんたいというのは2のことかもしれない
@lib2015blog: 好奇心いっぱいで、「ようし、この問題を解いてやるぞ」とがんばる機能があれば、楽しく正しく学べます。「知る」瞬間も「知り終えたのだ」と満足する瞬間も自分で分かります。 アビダンマッタサンガハを読む
まあいいが。。
。。。。タコさんが「いやになった」わけでもなく「止めた」からなんとかなってるだけだよ
うん
@lib2015blog: ここでのポイントは、「教室でそう思った」ことのおれが「無害思惟」ではない、ということの確認でした しかも楽しく学べるにこしたことはない
@lib2015blog: ついでに「工兵」の「こんなもの」ていうのは「軽視の怒り」でした。まあ不満があったわけでそれも確認してしまいます。 @lib2015blog: で。。まあ。。おそらくは「その絶望」は、「どうでしておれだけこんなめにあうんだ」というところからでてきてるだろう。 すなわち「その解消」の検討が「けっこうたいへん」なわけで。。
そこを確認して「扉をしめて」先にむかうわけです
。。。タコさんとしては、だよね
うん
そことどうこう交渉する必要はない。それが「無害思惟ではない」という理解をするだけ
これで片付く。
整体うけながら確認してまた、みたいな忍耐の作業です。
それが「回復してる」にもかかわらず。。16000ポか歩いてるわけだし。。
なにか?ていうと「それ」かもしれないわけでした
問題点がなかなか解決しないならこれをとりだしてみるといいかもしれません
無恚思惟
無害思惟
であって。。出離はむりだろうよ。。それを達成してないなら事務とはいえんだろ
無恚思惟
無害思惟